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印度放浪
    
1972年 朝日新聞社
1982年 朝日選書
1993年 朝日文芸文庫 
旅青春論の原典として静かに読み継がれてきた藤原新也の原点。
近代という病いの末期に生きる一人の青年が、原初の土地=インド亜大陸を巡りつつ、
蝕まれた肉体と精神を恢腹していく。行動する思索家・藤原新也の処女作。

(目次)
15年目の自白 語録 昨日への旅
さらば、カシミール 少年 寄生虫
野ネズミの食った果実
生残り戦士の描いた朽ちはてる前のパン
2円30銭のマハトマ・ガンジー
聖者、あるいは花の乞食道
ハダシのインド人との対話〔ほか〕

朝日選書は写真無し、若干編集されてます。
朝日文芸文庫は1972年発刊のハードカバー本より、
「15年目の自白」「語録」が加筆され、写真・校正の変更があります。
西蔵放浪
   
1977年 朝日新聞社
1982年 朝日選書 
1995年 朝日文庫  
天寿国遍歴行
人間として退化した今を持った一日本青年が、過去に向かって人間として
より進歩的である彼らの今の海の中に自己を投入した、小さな記録である。
チベット、飽くなき源流。僧侶の眼に言葉を失います。私は凡人だ。

(目次)
第1部 潮干の山越えて
第2部 天の宴

朝日選書は写真無し、第5版から4行加筆されています。
逍遥游記
    
1978年 朝日新聞社 
1983年 朝日選書 
1987年 台湾・韓国・香港 逍遥游記(改題) 朝日文庫 
このアジア漢字文化圏における、牛の歩みのようなゆったりとした旅は、私の三十三歳のときのものである。
多分その旅は、熱い思春期を終え、壮年期に移るはざまの、あの言いようもなく所属感の失われた時に、
ひとを不意につつみこむ、やわらかい「繭の中の遊境」であったのかも知れない。
まったりと、まったりと・・・

朝日選書は、短編「紅花」が加筆され、さらに写真が5点入れ替わっています。
全東洋街道
   
1981年 集英社 
1982年 集英社文庫上下巻 

藤原ブームを巻き起こした作品、代表作
1980年2月4日から402日間、イスタンブ−ルから高野山、東京までの旅。
イスラム教徒、ヒンドゥ教徒、仏教徒を廻る。
表面的なヒュ−マニズムや、むやみに奇抜な映像をかすめとってくるのではなく、
人間と交流しながらも、冷静な視線で通過し続けられる写真家の至高の文章。
私を旅にいざないました。

(大判の帯は2種類あり、上の写真の他に黄色い帯)
印度行脚
1982年 旺文社文庫   
1996年 朝日文芸文庫
放浪から行脚へ
持続する青春は
やがて、ひとつ、またひとつ、
インド的鉱脈をさぐり当てる。

(目次)
聖群/樹々に近く/バラナシの淵/花
旅人/聖海/聖物/石/彼岸/日輪
メメント・モリ
1983年 情報センター出版局 1214円
Memento-Mori「メメント・モリ」とは、「死を想え」。
ヨーロッパ中世末期にさかんに使われたラテン語の宗教用語。

『人間は犬にくわれるほど自由だ。』これは花の作品。

(目次)
乳海(ちちのうみ)
眠島(ねむるしま)
瞼心(まぶたのうら)
蝶翳(ちょうのかげ)
紅棘(あかいとげ)
天鏡(てんのかがみ)
汚されたらコーラン
アメリカ
1990年 情報センター出版局
1995年 集英社文庫 
ロスアンゼルスに一か月の滞在ののち、北上してサンフランシスコへ。
さらに大陸を横断してニューヨークに向かう。
東海岸線に沿ってアメリカ最南端フロリダのキーウエストに下り、
今度は南部を横断し再びロスアンゼルスに戻る。
全土200日、2万マイルに及ぶモーターホームでの漂流。
現代の漂泊者であり、時代の観察者であり続ける著者が、
目と心と体でとらえたアメリカの今。

(目次)
考察的旅の記録。
写真の女
アルパカを逃げせ
ホテルM
きょうの朝、微笑みほどの愛をもらえば
灰(アツシュ)
アメリカの月
ロッキー
雪と10セント
シカゴ
フリージア物語〔ほか〕
アメリカ日記
1991年 扶桑社
入り乱れる情報にからめとられない藤原新也の思考は、
どのようにして発想されるのか。
半径20メートルの日常を前につむぎだされる日々のメモランダムに、
その方法を見る。
「アメリカはそこに存在しなかった。ゆえに記憶化されなかった」
……だから私は存在しない世界の中で消滅しがちな自己の存在証明を
日々の日記に託したのだ。
それは、ちょうど実在しない夢の中の行為を忘れまいとして
夢の中で文字化し、それがそのまま居残っているような
何か不思議な感覚だった。
ショットガンと女
2000年 集英社インターナショナル 
著者24歳時の未発表写真を含む写文集
全東洋街道から、世紀末ニッポン、アメリカ、ヨーロッパ、南の島々……。
四半世紀にわたる旅の中で、作家は何を見つめ、何を考えてきたのか?
一枚の写真とともに旅を語ることで、世界の実像はどこまで浮かび上がるのか?

過の作品では書かなかった、石ころに磨きを描け、出しました。