藤原新也年表 | |
1944年 | |
北九州市門司に旅館の息子として生まれる | |
1969年 | |
旅に出る ヨーロッパ・中近東・インド辺りをふらつく | |
1970年 | |
『インド発見100日旅行』を『アサヒグラフ』に連載 インド・バングラディッシュに滞在し、『続・インド放浪』も連載 『アサヒグラフ』に寄稿した経緯は、 旅の資金がほしく、出発前に『アサヒグラフ』に金を貰いに行った その時編集長は、藤原新也の旅に対する思いよりも、 そのチンピラぶりに感心し、お金とフィルムをあげたらしい |
|
1973年 | |
76年までインド・ラダック地方に滞在 『インド行脚』『天寿国遍行』を『アサヒグラフ』に連載 |
|
1976年 | |
韓国・インド・モロッコ・ケニア・台湾・香港 滞在 『逍遥游記』を『アサヒグラフ』に連載 渋谷パルコにて写真展『七彩夢幻』をやる |
|
1978年 | |
奄美諸島・台湾・香港 滞在 『ゆめつづれ』の撮影のために、アメリカ滞在 ニコンサロンにて写真展『逍遥游記』をやる |
|
1979年 | |
写真展『ゆめつれづれ』開催 『三島由紀夫・近代能楽集』の舞台美術を担当 母親の死を契機に四国遍順 『四国遍土』を『アサヒカメラ』に連載 |
|
1980年 | |
『全東洋街道』の源となる全アジアの旅に出る ついに、『全東洋街道』を『月刊 PLAYBOY』に連載 |
|
1981年 | |
『FOCUS』に『東京漂流』を連載 しかし、第6回で突然の打ち切り… ここで一句 「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」……カントリー・オールド |
|
1982年 | |
ドイツ・ハンブルグ美術館にて写真展と講演 板橋美術館での『20世紀美術館』に参加 |
|
1983年 | |
打ち切りの『東京漂流』単行本が大宅壮一賞・日本ノンフィクション大賞、 を受けるが辞退する アメリカ・メキシコ滞在 |
|
1987年 | |
韓国 滞在 『丸亀日記』を朝日新聞日曜版に連載 |
|
1988年 | |
『ノア』のドローイング展を銀座みゆき座にて開催 7ヶ月かけアメリカを歩く |
|
1989年 | |
『藤原新也のアメリカ』を『DAYS JAPAN』に連載 『僕のいた場所』を『CREA』に連載 |
|
1990年 | |
パルコギャラリーにて写真展『アメリカ』を開催 | |
1991年 | |
北九州市門司港滞在 | |
1992年 | |
沖縄離島 | |
1993年 | |
パルコギャラリーにて写真展『南島街道』を開催 沖縄・バリ島・伊勢 |
|
1994年 | |
NHKテレビ『藤原新也の旅・風の笛』『月の雫』放映 | |
1995年 | |
『世紀末航海禄』を『週間プレイボーイ』に連載 バリ島 |
|
1999年 | |
バリ島・キューバ 北九州市門司港にて写真展『未紀の花・千穂の旅』『極楽蝶の交尾』を開催 |
|
2000年 | |
浜崎あゆみとのコラボレーションを、突然発表 | |
2001年 | |
アメリカ軍のアフガニスタン進行にともない、旅に出るつもりが 車に轢かれる…… |
|
|
|